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2020年07月25日

「天使のリボルバー」と「天使は誰だ」

BUCK-TICKに「天使のリボルバー」ってアルバムがあるんだけど

歌詞に「天使」と「リボルバー」が繰り返し出てくる曲のタイトルは
「天使のリボルバー」じゃなくて「天使は誰だ」で
入ってるアルバムも
「天使のリボルバー」じゃなくて「メメントモリ」。

なにその

目黒駅があるのは目黒区じゃなくて品川区
品川駅があるのは品川区じゃなくて港区

みたいな状態。
posted by 透子 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月23日

2020年07月22日のTwitter


posted by 透子 at 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter

私は自死を否定しない。

私は自死を否定しない。

どんなに愛する人や愛してくれる人に囲まれていても、未来に可能性があっても、生きていることが耐えられないほどの苦痛と言うのは残念ながら存在する。

本人がよく考えて、「この苦痛が消えるなら全てが消えてもいい」と覚悟して決めたなら、それは人生の選択の中の一つだ。
その人のことを大切に思うなら、その最後の選択を受け入れることもまた優しさなのではないか。

もちろん苦痛が解消されて生き続けたいと思えるようになるのが一番いい。でも残念ながら、それが不可能なことも、ある。どうしても、ある。

本人が納得しての行動なら、「これで全ての苦痛が消える」と感じられた最後の瞬間には、心から幸せを感じることができたかもしれない。
それだけで「生まれてきてよかった」と、自分の人生を肯定できるくらいの幸福を感じていたかもしれない。

自ら命を断ったことで、その人の人格、人生の全てを否定する必要はない。


それでも1つだけ。

30歳なんてまだ子供です。
その時には「自分ももう経験を積んでいい年なのだから、もっと大きな大人になっていなくてはいけないのに」と思うが、50歳になってみれば30歳なんて経験も浅いし何も分からず、子供のままで何も不思議はない。
周りの人が皆もっと立派な大人に見えるのは、全員、見栄を張っているから。
特に40代50代ぐらいまではみんな自分を大きく見せようと必死で虚勢を張っています。本当は皆、自分に自信がないのです。
内心、周りの人は皆立派なのになぜ自分だけがこんなにもうまくいかないのだろう、成長できないのだろうと思っている。実は思春期の頃と大して変わりはない。
そこから10年20年かけて、やっと自分が思う「30代の大人」くらいになれる。
だから30歳やそこらで、その時の自己評価をもとに自らを否定する必要なんてない。

そして、絵描きや小説家など、作品を作る人間によく知られていることがある。

ーー「この作品は手に負えない」、「自分にはとても描き切れない」と思ったら、それこそが描くべき作品だーー

人間も同じです。

自分はダメだ、もっと立派に生きるべきなのにそれができないと思ったら、その人生こそ生きる価値がある。
posted by 透子 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳
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