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2024年08月28日

逃げる場所

闘わなきゃいけない現実があって、逃げても消えてくれない、いつかは対峙しなきゃいけないものだとしても、ひと時、心を休める時間があってもいい。
そんな時に絵や、あらゆる創作、表現作品が逃げ場になれたらいいと思う。
魂のこもった良い作品には一瞬ですべてを塗り替える力があるから。
posted by 透子 at 16:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2024年08月03日

絵画は

絵画は、描き手のその時の考えや感覚、感情を生きたまま定着させるもの。

だから作品がある限り、花が枯れても絵の中では香り続けているし、人物画は本人が年老いても若いまま夢に挑戦し続けている。


絵だけではなく音楽も文学も映像表現も、あらゆる表現活動がそれを目指している。

posted by 透子 at 18:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2024年03月16日

顔に見えるシリーズ

たまに作る残りご飯煎餅


残りご飯に黒ごまとごま油を入れて捏ねるようによく混ぜ、直径3cmくらいずつ平たく伸ばして軽く塩を振ってアルミホイルに乗せ魚焼きグリルで10分ほど焼いたら


ご機嫌なヤツがいました


自分で並べたらこんなアメコミみたいに口の位置ずらさないと思うんだ 
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posted by 透子 at 08:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2023年08月21日

夏休みの宿題

夏休みの宿題は、最初ちょっとやるけど結局溜め込んで最後に慌ててやる方でした。

はじめに描く理想図が壮大すぎて手に負えなくなり現実的な姿に落とし込むまで夏休み全部を費やす身の程知らずタイプ。


今の絵の制作もだいたいそんな感じです。

取れる期間の大半をどうするべきか悩み続けて〆切直前になってやっと現実的な作品像がまとまってきて、最後に慌てて全力疾走。

余裕を持って仕上げられそうな場合もさらに悪あがきして結局ギリギリ。

きっと人生全体もそんな風になるんだろうなと小学生の頃から思ってたけど今も思ってる。


始めから身の丈に合った目標を描けばいいんだけど、これはこれで人間らしい人生の味わい方として面白い面もあるので、やっぱり一生このままかなあ。


画像は今描いてる絵の没バージョン


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posted by 透子 at 13:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2023年08月15日

珊瑚礁を見ていると

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いつか人類が滅んで何千万年か経ったら、私たちが使っている建物や衣服やスマホやこの絵なんかも、粉々になって何かの景色を形作るんだろうか


その時にそれを眺める何かにとってそれらが美しいと感じられればいい


珊瑚礁やカルスト大地やホワイトクリフはかつてサンゴ虫が作った「家」だと思うとき、そんな事を期待したくなります。

posted by 透子 at 18:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2023年08月05日

二組に分かれるやつ

今唐突に思い出したけど子供の頃、二組に分かれるときにやってたのは

♪グーとパーで分かれましょ

じゃなくて

♪うらおもて

だった…!

なぜか漠然と一番平凡なやつだと思い込んでたけどなんでこんな記憶の捏造が。

じゃんけんは、山口のは強烈なので忘れないんだけどな。
posted by 透子 at 18:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2022年08月08日

「疑問」

人間にとって疑問とは、道に開いた大きな穴のようなものだ。

放っておく事はできない。

穴は埋めなければならない。

埋めるために使う物は、必ずしも正解でなくてもいい。

穴を埋めてくれさえすれば、事実と違っても構わない。

とりあえず仮に、適当な思いつきで穴を埋めておく。

でも穴が埋まればわりと満足して忘れてしまう。

それが人間の習性だ。
posted by 透子 at 19:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2022年06月23日

「思考」のつくりかた

情報は検索して調べることができる。
でもそれだけでは「思考」にならない。

検索して得られる情報はいわば、
「料理の具材」。

野菜や肉はカットしたものを買ってくることもできる。
けれどそれらを鍋に入れて調理しなければシチューはできない。

材料から味が溶け出して他の味と混ざり合い、1つのオリジナルの味になるまでには、じっくり時間をかけて調理し、煮込まなければならない。

様々な知識や情報を人間と言う鍋の中に入れ、しっかりと温め、焦げ付かないように気をつけてかき混ぜながら一つの味を作っていかなければ、思考は育たない。

最近では調理済みの「レトルト思考」も多く出回っていて、それを鍋に入れるだけでも「自分」が出来たような気になれることもある。
でもそれは他の誰かが調理してくれたもので、完璧な状態は一時的。

生きていればどうしても自分だけの別の情報、違う状況が入ってくる。
そうすると味は変わって、パックを開いた直後の完璧な状態とは変わってしまう。

結局、調理は自分でし続けていくしかないのだ。


難しいけれど大丈夫。

人間と言う鍋は本来、思考を育てるためにちょうど良い温度にできているのだ。
posted by 透子 at 17:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2022年04月07日

最近気がついた言葉の変化

最近気がついた言葉の変化

(無い) ありません
     ↓
(無い) ないです

(有る) ありました
(無い) ありませんでした
     ↓
(有る) あったです
(無い) なかったです

(過去形)  〜でした
     ↓
(過去形) 〜だったです

いくつかは、ここだけ抜き出して文字で目にするとまだ違和感があるけど、会話やテレビなどの中ではよく耳にします。

「そういう事もあったですね」とか
「あれは印象的だったですね」とか。

自分でも言っていることがあります。
その時は、この方がより相手に分かりやすいのではないかという気がして使っています。

言葉の変化は、文法をより単純化する方向で起こるのだそうです。

丁寧にするために複雑化しすぎた文法が、単純に分かりやすい方向に揃えられていくと言う事だそう。

そういう意味では「です」と「でした」を使い分けるよりも、語尾は一貫して「です」にして、その前に「だった」を加えて過去形にする方がシンプルなのかもしれません。
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タグ:雑談
posted by 透子 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳

2021年07月27日

ひぐらしの声のはじまり

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いつだったか、早朝まだ暗く静かな時間に目が覚めたことがありました。
七月の山口の朝は明け切らない頃からひぐらしやニイニイゼミ、ヒヨドリの声に包まれているものですが、その時はまだ誰も鳴いていなくて、ちょうど寝付けなかった私はひぐらしが鳴き始める瞬間を待ってみることにしました。
ひぐらしの声はいつも気が付くとたくさん重なって響いていて、あれは最初から皆で一斉に鳴き出すのか、それとも誰か一匹が先行して少しずつ増えるのか気になっていたのです。

しばらくしてカーテンの隙間からのぞく空がわずかに藍色に見えるかどうか、という頃に遠くから「カナカナカナ…」と一匹の声が小さく響いてきました。それから数十秒のちにもう少し近くで一匹、二匹。やや遠くで数匹と声が重なり始め、少しずつ増える静かな響きがさざなみのようにひたひたと打ち寄せてきて、数分でいつもの朝の声に包まれていきました。

それからは少し遅れて近くでニイニイゼミが「ジーーー」と鳴き出し、ヒヨドリも時々「ヒー!」「ピー!」と鳴き交わして、空が薄明るくなる頃にはすっかりいつもの朝の合唱が出来上がっていました。

その日はひぐらしの鳴き始める瞬間を確認できたので満足でした。
寝不足はすぐに皮膚が悪化してヒリヒリ痛痒くて辛いけど、こういうのは一生の宝物になります。
posted by 透子 at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳
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